カバン・袋物・帆布加工一式 一澤信三郎帆布

信三郎のええかげんな話

Date 2019.03.23

#93 麻帆布かばんの誕生秘話

麻帆布のかばんを作り始めたのは、30年ほど前のことです。
倉庫を整理していてくすんだ緑色の麻の反物をうちの人が見つけて、「この色面白い!自分用のかばんを作って欲しい」と言い出したんが最初です。
うちのおやじの話によると、その反物で第二次大戦中に、兵器の覆い(カバー)や、軍艦の大砲の覆い、吊り床(ハンモック)などを作って軍に納めていたらしい。
綿帆布と違うて、麻には麻独特の風合いがあっておもろいなあと、復刻してみようと思いました。
綿帆布の染めを頼んでいる工場に相談すると、麻帆布を染めたことはないんで、うまくいくかなあ・・、と思案顔でした。まず最初に、高価なため今は自衛隊にしか納めてへんという厚手の麻帆布を染めてみました。もう少し打ち込みの強い麻帆布はないかと、京都の麻問屋に尋ねると、ヨーロッパで織っている麻の生地を持ってきてくれました。それを使って緑色、ワイン色、茶色、黒色、青色など、敢えて綿帆布と違う色を染めました。青色はこだわって、葛飾北斎の “ 凱風快晴 ” の空の色に染めてもろたんです。
そやけど、ええ麻帆布を継続して手に入れるんは、ホンマに難しいことでした。
ヨーロッパで織った生地は、異原糸が混じっていたり、織り傷も多いんです。均質に織って欲しいんやけど、麻はリネン(亜麻)という靭皮繊維(じんぴせんい・茎の内側にある柔らかい内皮)やから少々の傷は当たり前やと言うのがあちらさんの言い分です。スエズ運河が封鎖されて積み込んだ船が通れへんので、長いこと麻帆布が届かへんこともありましたなあ。
その後、時代の波でアイルランドやベルギーあたりで麻帆布を織っている工場が次々と廃業して、なかなか満足のいく麻帆布を手に入れることが難しくなりました。

その後、ヨーロッパから麻糸を輸入して、国内の工房で織ってもらえるようになって、ようやく満足のいく麻帆布が手に入るようになってひと安心。
麻帆布は使うほどに柔らこうなって、体になじんで実にええ風合いになります。
使い込んでええ味に育ててやってください。
私は性格はいたって柔らかいんやけど、年を重ねても古うなるだけで、なかなか居住まいと物腰に風格は出まへんなあ・・・。
ちなみに、亜麻(リネン)は ‘ 大麻 ’ とは別物ですので、ご安心のほど。

Date 2019.02.23

#92 大阪万博

大阪で二度目の万博を開催することが決まって、青春時代に1970年の万博を経験した私らは、なんや二番煎じやないかと言う気がしています。
私は当時大学生で、もちろん海外に行ったこともなかったんで、何度か会場を訪れるたびに、見るもの、食べるものも何もかもが珍しくて驚き、わくわくしたことを鮮明に憶えています。
情報化と言う言葉もない時代、いきなり体験する驚きや感動は格別でした。
うちの人がその頃、たまたまカナダ館のホステス(今で言うたらコンパニオンかな)をしてました。(もちろんその頃はうちの人ではなく、ただの女友達でしたが)
ある日、カナダ館で、一般の観客が帰ってからパーティがあるんで、来ないかと誘ってもろたんです。貧乏な学生には、お酒も食い物も “ ただ ” というのが大いに魅力で、友人を誘ってのこのこ出かけていきました。
鏡張りのピラミッドのような形のカナダ館に圧倒されながら中に入り、中庭のスペースでビールがふるまわれました。
まず驚いたんは、ビールの小瓶の口をねじって開けて、ラッパ飲みすることです。
当時の日本ではビールは大瓶からコップに入れて飲むもんなんで、外国人に交じってのラッパ飲みはえらくかっこよく思えたもんです。
鶏のから揚げも初めて食べて、うまいもんやと思いました。すべてが目新しく面白うて、楽しく飲んで夜中の12時ごろにお開きになりました。
うちの人は宿舎に帰るんで、会場で別れて、長い道のりを酔っぱらいながら歩いて駅にたどり着くと、シャッターが下りてました。えらいこっちゃ、そこで初めて始発まで電車がないのに気が付いたんです。
タクシーで京都に帰る甲斐性もなく、幸い気候の良い時節やったんで、友人と「しゃあないなあ」と駅のベンチで蚊の餌食になりながら一晩明かしました。・・・いつの時代も “ 只(ただ)ほど高いもんはない ” なあ・・・。

そう言えばうちの人は、珍しい食べ物の話をよくしていて、ブルガリア館でものすごく酸っぱいヨーグルトを食べたとか、ニュージーランド館には「シェイク」というアイスクリームのような飲み物があったとか、今では当たり前のものが初めて登場した時代なんや。
『air pollution』(大気汚染)という英語も初めて聞いて、「人類の進歩と調和」と言う言葉にうなずかされた時代でした。
それから50年近く経って、地球環境は悪化する一方で、人類はたいして進歩もせず、調和にもほど遠いのは残念なことです。

Date 2019.01.23

#91 ちょっとええ話

先日、うちの店のアルバイトで、フロリダから日本語を勉強しに来ているデシ君が青い顔して出勤してきました。鴨川堤を自転車で走っていて大事な財布を落としたんやそうです。
その財布には、家賃を払うべくおろしたばかりのお金や、クレジットカード、在留カードも全て入れていて、どうしたらええのか途方に暮れてました。
在留カードは常に携帯しておくもので、失うとえらいことらしい。取りあえず交番に届け出たんやけど、以前の「ええかげんな話」で日本の警察はアメリカと違ってとても優しいと言っていたデシ君。警察官は親切に話を聞いてくれて、落し物の書類を作ってくれたらしいけど、心は晴れへん。もとからそんなに余分にお金があるようでもないし、デシ君、困ったことになったなあと思っていました。
そしたら、数日後、財布が見つかったとの連絡があって、お金も全て無事やったそうです。交番からは「1割ぐらいお礼をするのが普通やけど、取りあえず拾った人に直接お礼の電話をするように」と言われたそうや。
デシ君が電話すると、拾ってくれたのはやや年配の男性で、「お礼の電話だけで充分や、謝礼は要らんで」と言われたデシ君は唖然! まず警察官の親切な対応に驚き、次に財布が、お金も何もかも全て入ったまま戻ってきたことに感激、そして拾った人から謝礼も請求されなかったことに大感銘。「アメリカでは警察官が取り合ってくれないし、お金が戻ってくることもない。日本は本当に良い国。ずっと日本に住みたい」とのこと。

もう一つ、うちの孫の落し物の話。
先日、京阪電車で居眠りをして焦って降りようとした時、リュックにぶら下げていた定期券が、ドアに挟まり、車内に落ちてそのまま電車が持って行ってしもうたそうな。漫画みたいな話やけど、私に似てしもうたのか、このぼーっとした孫は、以前にも電車に財布を落としたことがあったそうで、駅員さんに定期券のことを説明すると、〇〇君やねと、すぐにわかられたみたいなんです。翌日の早朝6時半ごろに駅員さんから家に電話があって、「見つかったので、今日使えるように、駅の改札に預けておきます」とのこと。普通やったら、遠くの落とし物センターまで取りに行かなあかんらしいのに、なんと親切な。
日本人は今なお、ええとこあるなぁ。
デシ君も孫も、“ 財布は落としてもこれからのええ運は落とさんようにな!!”

Date 2019.01.01

#90 謹賀新年

Date 2018.12.21

#89 やっかいな時は・・

先日、うちの出入りの運送屋さんと、ちょっとしたトラブルがありました。
うちには、店舗のほん近くに二つ工房があって、お互いに荷物が行き来してます。

ある日、もう一つの工房に届ける荷物を段ボールに入れて置いていたところ、その荷物が行方不明になって、なんぼ探しても見つかりません。その箱には、カバンに付ける革の持ち手がどっさりと入っていて、それが見つからへんと、その型のカバンが製造できひんのです。
その荷物を置いた責任者が青くなって、両方の工房を探し回ったけど、どうしても見つからへん。
その場所には、ご注文いただいたお客様にお送りする荷物も置いておくので、そやそや、もしかしたら運送会社の集荷の人が間違って持って行ったんと違うやろうか。
それで何度も問い合わせたんですが、そんな荷物は見当たらへんと言います。
時折、下請け業者の人が取りにくるんで、その人にも問い合わせてくれへんかと頼んでも、出荷先の住所が貼ってへんもんは絶対持って行かへんの一点張りです。社内を探すのにほとほと疲れて、1週間ほど経って、責任者が致し方なく盗難届を出そうかと思い悩んでいたところ、突然「ありました」と電話がかかりました。各営業所の荷物が集まる集荷場に行先不明の荷物として置いてあったんやそうです。
“ なんでやねん!?”
責任者が謝りに来たけど、何人もが手を止めて探し回った苦労と時間はどうしてくれるのや・・。時間に追われて忙しいのはわかるけど、最初にうちからの電話を受けた人や、集荷に来る人がもう少し気を利かせて丁寧に探してくれればすぐに見つかったはずなんや。
ミスは誰でも起こりえるけど、その後の誠意のこもった迅速な対応が大事なんやのに。

うちの店では、「お客さんの対応でよっぽど困ったら私に言うてきてや」と言っています。
クレームの最後の砦は私やから、いつものゆっくりの京都弁で “ すんまへんなあ ” とご勘弁願って、ご説明すると、大概のお客様は納得してくれはります。
長年、帆布の匂いをかいできた年の功でしょうか。
何はともあれ、私の出番は無いに越したことはないんですが。