カバン・袋物・帆布加工一式 一澤信三郎帆布

信三郎のええかげんな話

Date 2019.05.18

#95 一黙

私は四代目ということになってますが、うちの初代(嘉永6年生まれのひい爺さん)は、西洋かぶれの新しいもん好きの男やったらしいんです。以前に、一澤さんと言う同じ名字の方が訪ねてきはって、お互い遠い親戚やないかと言う話になりました。その方のご先祖のお墓には、勘当された人の名前が削られているらしく、それがどうもうちのひい爺さんらしいんや。いったい何をしでかしたんやろう?

実は、もう新しくなってしもうたんですが、うちの墓は何とも不思議な墓でした。なんでもひい爺さんがセメントを持ってきて自分で墓を作ったらしい。墓には花柄のタイルが何枚も貼り付けてあって、真ん中にはハープの形の金属が打ち付けられてました。
二代目が96歳で天寿を全うした時、その墓に入れようと思ったら、納骨する入り口を作り忘れてたんで、私の親父が、これでは後々困るやろうと、止むなく墓を新しくしたそうです。
今になれば、風変わりなひい爺さんの手作りも残しておけばよかったのになあ。
ハープは、その頃にひい爺さんが組織してた「京都バンド」という楽隊のシンボルマークでした。当時オーケストラ元祖と名乗っていたのか、私のひい婆さんの写真に「オーケースタラ元祖」の文字が印刷されているんです。

この頃は、残された者が困らんように、樹木葬や合祀を選ばはる人が増えているらしい。
私も、うちは娘二人やし、墓にはこだわりがないんですが、先年、子のいない叔父が亡くなり、昵懇にしている和尚から墓地を分けてもろうて、墓を作りました。
仰々しい墓は苦手です。墓碑は蓮の一片の花びらの形にして、名字の代わりに、和尚に頼んで禅語を墨書してもろうて、その一語を彫ることにしました。楽しみに待っていたその一語は『 一黙 』・・・多くのことを喋るより沈黙がまさっているということ。

ええ墓になったなあと、独り言ちていますが、うちの人が一緒に入ってくれるかどうか・・、その時はその時やなあ。

維摩の「一黙は雷の如し」。
「維摩居士」は釈迦の弟子の一人で、仏教の教理について、釈迦の弟子たちが議論していた時に、文殊菩薩は文字や言葉では言い表せないといい、その後に意見を求められた維摩は、何も語ろうとせずに教えを態度で示したという故事から。

Date 2019.04.17

#94 折々のことば

私は毎朝起きるとすぐに新聞に目を通すのが習い性となっています。
新聞が休刊日でポストに朝刊が入ってへんとがっがりで、夕刊が待ち遠しくなります。
若い人たちはインターネットのニュースで済ませがちで、新聞を購読せーへんそうやけど、私らの世代は毎日欠かさず新聞を読みたいんですわ。
私は、全国紙、地方紙、経済紙と、読み切れんのに三紙をとっています。
その中でここ何年か、最初に目を通すのは、朝日新聞の朝刊一面に掲載されている、鷲田清一さんの “ 折々のことば ” です。
古今東西、有名、無名に拘わらずたくさんの人の言葉から毎日ひとつ選んで、鷲田さん流のかみ砕いた解説とその言葉への思いを、当意即妙に語ってはります。
毎朝欠かすことなく、4月17日で何と1435回目。驚くべき数字です。
その博覧強記と見識と、たゆまぬ努力に脱帽です。やっぱり私とは頭の出来が違うんですなあ。
ある日の言葉に「仁王立ちになって、時代に立ちはだかれ!・稲垣喜代志」とありました。
今、世の中は混迷を深めています。それぞれが濁流に呑み込まれんように踏みとどまって思慮深く行動せんとあかん。ええ言葉やと鼓舞されたんやけど、いかんせん、私は穏やかで脱力系の性格で、勇ましく六方を踏むことはできそうにありまへん。鷲田さんの言葉は、“ 自前の道にそっと踏み出すのも立ちはだかりの一種だろう ” と続きました。
そうなんや、大勢に追従することなく、我が思う道をゆっくり牛歩のごとく歩んだらええのやと。
恥ずかしながら「とことん時代に遅れ続けよな、言うてんです。」と言う私の言葉も、昨年10月7日に取り上げてくれはりました。
私も、うちの生業(なりわい)も牛の歩みで、時代に立ちはだかるのは難しいけど、ちょっとづつ鈍重に前に進んでいけたらええなあ。
“ 折々のことば ” は私の毎朝の頭の体操です。ボケ封じでもあります。
鷲田さん、お忙しいやろうけど、止めんといつまでも続けてくださいよ。

Date 2019.03.23

#93 麻帆布かばんの誕生秘話

麻帆布のかばんを作り始めたのは、30年ほど前のことです。
倉庫を整理していてくすんだ緑色の麻の反物をうちの人が見つけて、「この色面白い!自分用のかばんを作って欲しい」と言い出したんが最初です。
うちのおやじの話によると、その反物で第二次大戦中に、兵器の覆い(カバー)や、軍艦の大砲の覆い、吊り床(ハンモック)などを作って軍に納めていたらしい。
綿帆布と違うて、麻には麻独特の風合いがあっておもろいなあと、復刻してみようと思いました。
綿帆布の染めを頼んでいる工場に相談すると、麻帆布を染めたことはないんで、うまくいくかなあ・・、と思案顔でした。まず最初に、高価なため今は自衛隊にしか納めてへんという厚手の麻帆布を染めてみました。もう少し打ち込みの強い麻帆布はないかと、京都の麻問屋に尋ねると、ヨーロッパで織っている麻の生地を持ってきてくれました。それを使って緑色、ワイン色、茶色、黒色、青色など、敢えて綿帆布と違う色を染めました。青色はこだわって、葛飾北斎の “ 凱風快晴 ” の空の色に染めてもろたんです。
そやけど、ええ麻帆布を継続して手に入れるんは、ホンマに難しいことでした。
ヨーロッパで織った生地は、異原糸が混じっていたり、織り傷も多いんです。均質に織って欲しいんやけど、麻はリネン(亜麻)という靭皮繊維(じんぴせんい・茎の内側にある柔らかい内皮)やから少々の傷は当たり前やと言うのがあちらさんの言い分です。スエズ運河が封鎖されて積み込んだ船が通れへんので、長いこと麻帆布が届かへんこともありましたなあ。
その後、時代の波でアイルランドやベルギーあたりで麻帆布を織っている工場が次々と廃業して、なかなか満足のいく麻帆布を手に入れることが難しくなりました。

その後、ヨーロッパから麻糸を輸入して、国内の工房で織ってもらえるようになって、ようやく満足のいく麻帆布が手に入るようになってひと安心。
麻帆布は使うほどに柔らこうなって、体になじんで実にええ風合いになります。
使い込んでええ味に育ててやってください。
私は性格はいたって柔らかいんやけど、年を重ねても古うなるだけで、なかなか居住まいと物腰に風格は出まへんなあ・・・。
ちなみに、亜麻(リネン)は ‘ 大麻 ’ とは別物ですので、ご安心のほど。

Date 2019.02.23

#92 大阪万博

大阪で二度目の万博を開催することが決まって、青春時代に1970年の万博を経験した私らは、なんや二番煎じやないかと言う気がしています。
私は当時大学生で、もちろん海外に行ったこともなかったんで、何度か会場を訪れるたびに、見るもの、食べるものも何もかもが珍しくて驚き、わくわくしたことを鮮明に憶えています。
情報化と言う言葉もない時代、いきなり体験する驚きや感動は格別でした。
うちの人がその頃、たまたまカナダ館のホステス(今で言うたらコンパニオンかな)をしてました。(もちろんその頃はうちの人ではなく、ただの女友達でしたが)
ある日、カナダ館で、一般の観客が帰ってからパーティがあるんで、来ないかと誘ってもろたんです。貧乏な学生には、お酒も食い物も “ ただ ” というのが大いに魅力で、友人を誘ってのこのこ出かけていきました。
鏡張りのピラミッドのような形のカナダ館に圧倒されながら中に入り、中庭のスペースでビールがふるまわれました。
まず驚いたんは、ビールの小瓶の口をねじって開けて、ラッパ飲みすることです。
当時の日本ではビールは大瓶からコップに入れて飲むもんなんで、外国人に交じってのラッパ飲みはえらくかっこよく思えたもんです。
鶏のから揚げも初めて食べて、うまいもんやと思いました。すべてが目新しく面白うて、楽しく飲んで夜中の12時ごろにお開きになりました。
うちの人は宿舎に帰るんで、会場で別れて、長い道のりを酔っぱらいながら歩いて駅にたどり着くと、シャッターが下りてました。えらいこっちゃ、そこで初めて始発まで電車がないのに気が付いたんです。
タクシーで京都に帰る甲斐性もなく、幸い気候の良い時節やったんで、友人と「しゃあないなあ」と駅のベンチで蚊の餌食になりながら一晩明かしました。・・・いつの時代も “ 只(ただ)ほど高いもんはない ” なあ・・・。

そう言えばうちの人は、珍しい食べ物の話をよくしていて、ブルガリア館でものすごく酸っぱいヨーグルトを食べたとか、ニュージーランド館には「シェイク」というアイスクリームのような飲み物があったとか、今では当たり前のものが初めて登場した時代なんや。
『air pollution』(大気汚染)という英語も初めて聞いて、「人類の進歩と調和」と言う言葉にうなずかされた時代でした。
それから50年近く経って、地球環境は悪化する一方で、人類はたいして進歩もせず、調和にもほど遠いのは残念なことです。

Date 2019.01.23

#91 ちょっとええ話

先日、うちの店のアルバイトで、フロリダから日本語を勉強しに来ているデシ君が青い顔して出勤してきました。鴨川堤を自転車で走っていて大事な財布を落としたんやそうです。
その財布には、家賃を払うべくおろしたばかりのお金や、クレジットカード、在留カードも全て入れていて、どうしたらええのか途方に暮れてました。
在留カードは常に携帯しておくもので、失うとえらいことらしい。取りあえず交番に届け出たんやけど、以前の「ええかげんな話」で日本の警察はアメリカと違ってとても優しいと言っていたデシ君。警察官は親切に話を聞いてくれて、落し物の書類を作ってくれたらしいけど、心は晴れへん。もとからそんなに余分にお金があるようでもないし、デシ君、困ったことになったなあと思っていました。
そしたら、数日後、財布が見つかったとの連絡があって、お金も全て無事やったそうです。交番からは「1割ぐらいお礼をするのが普通やけど、取りあえず拾った人に直接お礼の電話をするように」と言われたそうや。
デシ君が電話すると、拾ってくれたのはやや年配の男性で、「お礼の電話だけで充分や、謝礼は要らんで」と言われたデシ君は唖然! まず警察官の親切な対応に驚き、次に財布が、お金も何もかも全て入ったまま戻ってきたことに感激、そして拾った人から謝礼も請求されなかったことに大感銘。「アメリカでは警察官が取り合ってくれないし、お金が戻ってくることもない。日本は本当に良い国。ずっと日本に住みたい」とのこと。

もう一つ、うちの孫の落し物の話。
先日、京阪電車で居眠りをして焦って降りようとした時、リュックにぶら下げていた定期券が、ドアに挟まり、車内に落ちてそのまま電車が持って行ってしもうたそうな。漫画みたいな話やけど、私に似てしもうたのか、このぼーっとした孫は、以前にも電車に財布を落としたことがあったそうで、駅員さんに定期券のことを説明すると、〇〇君やねと、すぐにわかられたみたいなんです。翌日の早朝6時半ごろに駅員さんから家に電話があって、「見つかったので、今日使えるように、駅の改札に預けておきます」とのこと。普通やったら、遠くの落とし物センターまで取りに行かなあかんらしいのに、なんと親切な。
日本人は今なお、ええとこあるなぁ。
デシ君も孫も、“ 財布は落としてもこれからのええ運は落とさんようにな!!”