機嫌よう働いて、
ええもん作って
くれたら
― 信三郎
そういえば普段はあんまり仕事の話はせえへんな。今日はちょっとぐらい仕事の話もせなあかんのやけど。あんたは入って何年になる?
― 石田
工業高校で京都の伝統産業について学んでいたのもあって、職人さんに憧れていたんです。入社したときはめっちゃうれしかったです。
― 黒岩
僕は2年目です。大学は経済学部だったんですけど、自分が普通の就職活動をできると思えなくて。スーツを着て説明会に行くとか想像できなかった。それで本当にやりたいことを改めて考えたときに、何かモノを作りたいなと思ったんです。どうせなら、自分がいいと思えるモノを作りたいと。
― 黒岩
そうなんです。一澤帆布のカバンは中学生のときにお土産でもらってからずっと好きで。募集してるかはわからなかったけど、直接、履歴書をこちらに送ったんです。その後、工場も見学させてもらって、もうここしかない!と思って群馬から京都に引っ越してきました。
― 信三郎
そのときはまだ職人の募集をしてなくて、ちょっと待ってもらってから入ったんやな。その間、年賀状も暑中見舞いも送ってくれるし、履歴書も手作りの帆布封筒に入れて送ってきた。
― 黒岩
それはもう覚えてもらおうという下心丸出しで(笑)。
― 信三郎
私らが就職した時代は、ホワイトカラー、ブルーカラーという言葉が残っていた時代や。当時はみんなホワイトカラーになりたくて、ブルーカラーの職人は憧れの仕事やなかった。そやから職人を採用するのも苦労したんやけど、今は逆にものづくり、職人仕事が見直されてるやろ。こういう仕事がしたいっていう若い人が入ってきてくれるようになって、私らにとってはええ時代になったなぁと思う。一澤のカバンが好きで、一澤のカバンを使ってくれる若い人が職人として入ってくれるのが、私らの一番の希望やった。それが叶ってるのはほんまにうれしいことや。 実際入ってみてどうや?
― 黒岩
全然ギャップはなかったです。入ってよかったと思っています。先輩たちもほんまに良くしてくださるので。
― 信三郎
機嫌よう働いて、ええもん作って、お客さんに喜んでもらえたら、それが一番ええわなぁ。
― 黒岩
今は小ミシンの下職を担当しているんですけど、思ってた以上に奥が深いです。同じ作業でも先輩と比べたらスピードも出来上がりのキレイさも違うし、単純な作業だけどやりがいがあって、ちょっとずつ成長していけるのが楽しい。
― 信三郎
うちの仕事、面白いやろ。同じもんを大量に作ってるわけやないから。それぞれのチームで素材・色・形の違う何十種類ものカバンを少量多品種で作ってるもんなあ。
― 石田
同じものをたくさん作った方が効率は良いのかもしれないですけど。いろんな仕事ができたほうが楽しいっていう社長の方針があって。
― 信三郎
方針なんてあらへんで、みんなを放し飼いにしてるだけや(笑)。たぶん、よそと違うのは、一つのチームがいくつものカバンを同時並行で作っていること。例えば、同じ色のカバンを縫う場合は、3種類くらい形違いのものを同時に手がけたりする。そうすると金具の位置なんかも違うから、下職とミシンの連携が必要になってくるんやな。
― 石田
そうですね、段取り良くしようと思ったらけっこう頭も使います。
― 信三郎
うちはマニュアルがないから、職人たちが知恵を働かせて工夫してくれるねん。みんな仕事覚えるのが早いのはそのせいかもしれへんなぁ。
時代遅れが、
いつのまにか新鮮に
― 石田
社長はいつからこの仕事を始めたんですか?
― 信三郎
いつからって、私は子どものときから職住同居で育ってるねん。今の店があるとこやで。
― 信三郎
毎日ミシンの音が聞こえて、帆布のにおいをかいで。昔はおくどさん(ご飯を炊く釜戸)に帆布の切れ端をくべてお湯を沸かしたりしてた。草野球が流行ったときにはうちの親父が帆布でベースを作ってくれたこともあった。小学生のときは学校にプールがなくて、うちの親父が狭い庭のなかに「プール作ったる」って言い出してん。帆布で外枠を縫って、端っこを柱にくくりつけて、水を入れたらプールになった。家にプールができた!いうて喜んでたら近所の子どもらがいっぱい集まってきて、泳ぐスペースなんか全然あらへん(笑)。
― 黒岩
子どもの頃から、身近なところに帆布があったんですね。
― 信三郎
当時は今のような一般のお客さん向けやなくて、業務用に使うカバンの注文が多かった。例えば金物屋さんがカバンに自分とこの屋号を入れて、左官屋さん、大工さん、植木屋さんやらに盆や暮れの御礼に贈らはるんや。帆布に屋号の型を刷り込んだり、縫いあがったカバンを裏返して形を整えたり、そんなんよう手伝わされたな。
― 石田
その頃からネームも付けてはったんですか?
― 信三郎
昔は判子やった。織ネームになったのは昭和30年代くらいかな。今のロゴは漢字やけど、一時はKYOTO ICHIZAWAっていうローマ字のロゴを一部に使ってたこともある。登山用のザックやテントなんかを作ってたときは、山岳隊や探検隊がヒマラヤなどの高山やアマゾン、アフリカなどの秘境を目指して海外に遠征するっていうのでローマ字のロゴをつけたんかなぁ。
― 信三郎
そうや。今は織ネームに住所が記載してあって珍しいと言われるけど、あれは電話やネットがなかった時代に「ここに訪ねて来てくれはったら直しますよ」という意味で入ってるねん。ブランドというより、品質保証やな。
― 石田
なるほど、品質保証なんですね。
それで学校卒業してすぐ一澤帆布に入らはったんですか?
― 信三郎
学校出て10年ほどは新聞社に勤めててん。32歳で家業に戻ってきたんかな。今思えば、もし東京にでも配属されてたら継いでたかどうかわからんのやけど、大阪勤務で京都に住んでたから、たまに実家に寄ったときに親父が年とったのがわかる。当時は職人さんが10数名かな、高齢化してだんだん家業にも元気がなくなってくるし、継ぐんやったら今しかないなぁと思ったんや。
― 黒岩
社長の代でめっちゃ大きくなったんですね。
― 信三郎
自然とな。家業としては衰退した時期に帰ってきたから、いろんなことが経験できて良かったかなと思ってる。
― 石田
社長が継いでから、何か工夫されてきたんですか?
― 信三郎
工夫っていうのはないねんけどな。うちの親父もそうやったように、あんまり金儲けに走らんかったのが良かったのかもしれん。一時期、登山用の帆布製品を主に手がけてた時期もあるんや。戦後、経済成長のなかで余裕ができて、各大学に山岳部や探検部なんかができて、探検調査に出かけるわけ。そうすると帆布のテントやリュック、キスリング、調査用のカバン、ヤッケ、ポンチョ、バケツなどの注文がたくさん入ってくる。親父も「これはいける」と思ったことがあると思うわ。でもそのとき登山用品に特化していたら今の一澤はなかった。今、大学の山岳部や探検部は消滅しかかっているし、登山用の帆布製品はもっと軽い素材の化学繊維のものに変わってる。売れるからと言うて販路を広げすぎひんかったことが、今になっては良かったんちゃうかな。そやから今も「製造直売」というかたちを守って、多品種少量生産でやろうというこだわりがある。
― 黒岩
でも一澤信三郎帆布が人気になって、東京あたりで店舗を出しませんかっていうお誘いもあるんじゃないですか?
― 信三郎
あるある。スカイツリーに出店しませんかと言われたときは、「高所恐怖症ですねん」って断った。
― 信三郎
お誘いいただくのは大変ありがたいことやけど、「製造直売」ならではの良さもあるからな。うちでは職人も店頭に立ったり、たまのデパートの催事では、うちの販売スタッフや職人が必ず会場に行ってお客さんと話したりする。そうするとお客さんのいろんな質問に職人が答えられるし、こんなカバンがあったらという要望も聞けるわな。今は大量生産・大量消費の時代で、少しでもコストを減らすために海外に製造現場を移転しているとこが多いけど、その場合、数個や数十個単位では対応できひん。記念品のカバンを50個作ってほしいという要望を、中国やベトナム、パキスタンの工場がきちんと応えてくれるとは思えへんやろ。うちの場合はお客さんとは対面販売で距離がものすごう近いぶん、細かな要望に応えられる利点があると思うな。
― 石田
「製造直売」というスタイル自体、時代に遅れているようで逆に新しいというか。
― 信三郎
時代に遅れ続けているようで、周回遅れで追い越しているような感じもあるやろ。
― 黒岩
僕は何回か店舗に立ったことあるんですけど、自分がさっきまで作っていたカバンが店舗に並んで、お客さんが手に取ってくださるだけでうれしい。さらにお客さんが話しかけてくれたり買ってくださったりすると、すごくやる気につながります。作る人と使う人の距離が近いのは僕らも刺激になりますね。
― 石田
店舗では、お客さんがカバンを選んでいるときの楽しそうな雰囲気を味わえるのがうれしい。「実はこれ私も作っているんです」「ここがこだわりの部分なんですよ」と話していると、お客さんも興味を持って聞いてくれはります。
― 信三郎
そういえば先日、知人が一澤のカバンを持ってパリに行ったら、現地のフランス人が「一澤のカバン知ってる!」って言ってたと聞いたな。案外、ここで売ってるだけでも世界に広がってるんや。
― 石田
一澤のカバンを持っている人同士が旅先で会って、「あなたも京都に行かれたんですか?」というところから会話が始まって友達になった、なんて話も聞きますよね。
思いつきだけの
男やから
― 信三郎
うちはカバンの種類が多いのも特色やな。まず廃番や廃色がないやろ。そやから職人たちには時代に沿うた「新作考え」って言うてるけど、あんまり考えすぎて、ぎょうさんでき過ぎても困るわ(笑)。今年入ってからも新作が3つできたんやな。
― 信三郎
新作会議は月1回やって、その時々に関心のある職人や販売スタッフが参加する。誰も出てこんときもあるねん。そのへんがうちらしいやろ。
― 黒岩
僕も何回か参加しました。自分一人ではまだカバンを作れないので、紙にアイデアを書いて先輩に手伝ってもらって。でも甘かったです。僕は冬に灯油ストーブを使っているんですけど、ガソリンスタンドに灯油を買いに行くときのポリタンク用のリュックがほしいと思って考えたんです。実際できあがったリュックは、ポリタンクのサイズにぴったり!ただ、それを新作として出して誰が買ってくれるのかというツッコミが入りまして(笑)。
― 信三郎
まぁそんな突拍子もないアイデアも面白いな。若い人からアイデアが出ると、また違う意見も出てきて活発になるし。うちでは新作会議でいい案があったら、まず試作品を作って、そのあと何度か手直しして、数ヵ月間集中的に何人かで使ってみる。それで不具合があったところを改良して、ようやく10個ほど店頭で販売する。そこから売れ行きがよければ数やカバンの色を増やしていく。いきなり何百個も作って売ることはせえへん。使い勝手が悪い言われたら、わやや。販売前に自分たちが使ってみて、お客さんの反応を見ながら徐々にやな。
― 石田
新作を次々と発表するというのは戦略ですか?
― 信三郎
同じもんばっかり作ってたらお客さんに飽きられるしな。それに時代の風を受けて、時代のにおいをかいで、時代に合ったもんを作っていくことやろうな。作る側でも同じもんばかりやと面白味もないやろう。
― 黒岩
確かに、いろんなカバンがあると作るほうも面白いです。今は110周年の企画を考えているんですよね。
― 信三郎
私はいつも思いつきだけの男やから。110周年限定のオリジナルの柄を作ろうと思って、私がひらめいたのは道具づくし。昔から、宝づくしや貝づくしなどの文様があるやろ。うちでは職人の七つ道具。ミシンや針、ボビン、ハサミ、木槌などを柄にしたらどうかと思って、社内でいろんな人に描いてもらった。8人くらいが描いてくれたんやけどな、みんな才能があって上手や。けっこう面白い道具の表現が出てきたから、個人個人のタッチの違いを活かしてカバンやTシャツや手ぬぐいにしようと思ってるねん。ちょっと内緒で見本柄を見てみよか。
― 信三郎
ええやろ。うちの職人はみんなけっこう才能あるねん。他にも110周年記念でカバンを購入してくれはったお客さんに缶バッチをプレゼントしようということで、何種類かバッチのデザインも考えてるところや。
― 信三郎
道具づくしの柄のカバンは、4月末くらいに店頭に並ぶ予定。他にも110周年のアニバーサリー企画を色々やってみようかと思ってる。乞うご期待やな。二人とも手伝うてや。