カバン・袋物・帆布加工一式 一澤信三郎帆布

信三郎のええかげんな話

Date 2016.10.06

#59 ファルマコン ’90

左:フランク・ステラ/ Frank Stella 右:フランチェスコ・クレメンテ/ Francesco Clemente

現代美術というと、“おもろいけど、なんや、つかみどころが無うて、ようわからんなあ” と思ってるのは、私だけやろうか・・。
何と25年以上前に、うちのかばんが現代美術のキャンバスになったことがあるんです。
1990年の夏に、幕張メッセで大規模な国際現代美術展があったんですが、もう覚えてはる人も少ないやろうなあ。現代美術と帆布かばんの邂逅、モダンとトラッドとの出会いでした。
現代美術に触れたことのない人に、作品と一対一で向き合ってもらい、そこから何らかのエネルギーを感じて欲しいと、名古屋のギャラリーが企画しました。

幕張メッセの広大な場所(13,500㎡)に、作家たちの作品を展示したんですが、バブルの時期とはいえ、莫大な費用が掛かったのでしょう。その費用の一部に充当しようと、10数名の現代作家さんたちが、それぞれの作品をスクリーンプリントしたかばんをサイン入りで、各自が50個づつ作って販売することになりました。そのかばんの縫製を頼まれたんです。
まず、裁断した帆布生地をスクリーンプリントの業者に送ります。作家さんが描いた原画を、厚手の帆布生地のかばんにスクリーンプリントするのは、色数も多くなかなか難儀な作業やったそうで、39版も重ねてある作品もありました。作家さんの中には、金属の塊を貼り付けた人もいはりました。かばんに原画を描いてくれたのは、「フランク・ステラ」「フランチェスコ・クレメンテ」「レイ・スミス」「ジェフ・クーンズ」「若林奮」「高松次郎」さんなどでした。
なかでも、「ジェフ・クーンズ」さんの作品は、男女が裸で抱き合うてる絵が描かれていて、職人たちがくらくらしながら縫製してましたわ。
この時の作品たちと比べたら、この秋にうちが出した「日と月」紋は、和で静寂やなー。
その折、最も高価やったかばんは、ひとつ50万やったそうで、かばんと言うより美術品ですな。そのかばんたちは、今どこにあるんかなと、ふと気になります。

Date 2016.09.09

#58 永さんのこと

8月30日に、東京の青山斎場で永六輔さんのお別れ会があり、その後のお別れライブにも行ってきました。懐かしい顔ぶれの方々のお別れの挨拶が、どれも心がこもっていて、みんなが永さんのこと大好きやったんやなー。ええ会でした。そして、「子供を飢えさせるような戦争は絶対したらあかん」という宿題を、私たちに残して旅立って行かはりました。

永さんとは、1991年に親父が「職人」というテーマで対談して以来の長い付き合いです。その頃、永さんは50代やったと思います。頭は角刈りでがっちりしてはって、偉丈夫な方やなあというのが第一印象でした。それまでは、かばんは持たんと風呂敷包一つで旅に出てはった永さんですが、うちのかばんを気に入ってもろうて、それからずっと使うてくれはるようになりました。

その後、無理をお願いして、永さんにうちの日本手拭いのデザインをしてもろうたり、「布包」と言う字を墨書してもろうて店の暖簾にしたりと、いろいろお世話になりました。「原稿料はどうさしてもろたらよろしいか」とお尋ねすると、「隣りの旨い焼き芋でいいよ。」との答えでした。そのうち隣りの焼き芋屋さんは廃業して、借りはほとんどお返し出来んままになってしまいました。

東日本大震災の復興支援に、うちのかばんに絵を描いてオークションにかけ、全額を寄付するという企画にも賛同してもろうて、かばんにトンボの絵を一面に描いて持ってきてくれはりました(ええかげんな話 #12 永六輔さんと)
“トンボは決して後退しない、まっすぐ前にしか進まない” トンボの柄がお好きな方でした。車椅子になっても、前に前に進んではった永さん。そう言えば、尺貫法廃止に体を張って反対してくれはった。
お陰で、うちでは今も尺差しが現役です。
パーキンソン病に罹らはっても、「僕は、パーキンソンのキーパーソン。」と笑いにしてはった。
照れたような笑顔に、もう会えへんと思うと、寂しいですなぁ。 

生きているということは 誰かに借りをつくること 
生きてゆくということは その借りを返してゆくこと 
誰かに借りたら誰かに返そう 誰かにそうしてもらったように

永 六輔

Date 2016.08.18

#57 時代遅れの男

私の携帯電話は、いまだに「ガラケー」です。電話をかけるだけやったら何の不便もあらへんし、時刻もわかるし。写真も撮ったことありまへん。唯一、ショートメールだけはできるようになって、限られた字数のなかに、おもろいことを入れて、ぴりっとまとまるように工夫するのは、脳死寸前の頭に活を入れる、ちょっとした頭の体操です。 
周りの人がみんな「アイフォン」というのを使うてるんで、電車の乗り継ぎや、美術館の開館時間なんかは調べてもろうて、それで事足りてます。
知らん土地へ行って、どこの店でご飯を食べようかというときには、若い人のように携帯のサイトで調べることはせんと、地元の人に尋ねたり、自分の目と鼻で旨そうな店を見つけるのが楽しみです。たまに大外れなこともありますが、それもまたご愛敬です。

こんなことで、私はパソコンに触ったことがありまへん。娘が仕事を手伝うようになって、まず「うちのホームページ、いまいちやわ。写真もきれいやないし、第一面白くないわ。」と言われ、大胆に変えられてしまいました。「社長がいろいろ発信して、自分の思うことをお客様に伝えるのも大事やし。」と言われて、致し方なくこの、「ええかげんな話」も誕生しました。

でもそろそろ飽きられてるかなー、ネタ不足やし。世の中に遅れ続けている私やけど、そうも言うてられへん時代になったんですな。うちの人からは、「パソコンぐらい使えへんと、老後に困るよ。」と脅かされてます。
そやけど「目立たぬように、はしゃがぬように、似合わぬことは、無理をせず・・。」
ガンジス川に、流れに行きますかなー・・。

Date 2016.07.27

#56 赤熊(しゃぐま)

祇園祭の山鉾巡行も終わって、京都の夏もいよいよ本番。
わたしは冬の底冷えは平気なんやけど、蒸し暑い夏は苦手です。ほんまにいややなー。
17日の祇園社の前祭の山鉾巡行が終わって、突然、生麩の老舗 “麩嘉”はんの息子さんが、大きな藁束を担いで来てくれはりました。何とそれは、“くじ取らず” で前祭の先頭を行く長刀鉾の、鉾の上部に取り付けてある「赤熊(しゃぐま)」というもんやそうです。遠くから眺めると小そう見えるけど、こんなに大きいもんやったんや・・。長刀鉾には七つ付いてるそうです。
歌舞伎の連獅子が付ける頭も赤熊。綾傘鉾の棒ふり踊りも、赤熊を被って棒を振ります。この藁束が同じ名前とはどういういわれがあるんやろうか。形が似てるからやとも聞きました。
さて、何のために飾るんか聞いてみると、火伏(火の用心)のためにおくどさん(かまど)の上の方にかけて置くという人もいはるし、家の玄関の内側にかけて置くと、厄除けになるという人もいはりました。
詳しい “いわれ” をご存知の方があれば、是非教えて欲しんもんです。
長刀鉾は、いまだに女人禁制。女性は昇れません。
赤熊は、女難除け?? 長いことありまへんけど・・・。
それより有り難い赤熊はんを、狭い店舗のどこに飾らしてもろたらええんやろうなあ。

Date 2016.07.02

#55 山男の贈り物

「キスリング」って知ってはりますか?
今の若い人はほとんど聞いたことがないやろうと思いますが、「キスリング」はスイスの登山家の名前で、帆布生地で作った登山用の大型リュックの名称です。昭和の初めに日本に持ち込まれ、徐々に広がったようです。昭和30年代に入ると登山ブームで、土曜の夜に国鉄(JR)の駅に、キスリングが山のように積まれていたのを覚えています。夜行列車で、遠くは信州あたりに行って、山に登ってたんでしょうな。

うちの店にも、大学の山岳部やワンダーフォーゲル部、探検部の学生さん達がよう出入りして、キスリングを買いに来ていました。キスリングは、両サイドに厚みのある大きなポケットを付け、口元はロープ絞り式で、雨蓋がないので絞った紐を肩バンドの根元の金具にくくりつけます。荷物の入れる順番を考えて自身で背負いやすいようにパッキングするには、経験と工夫が要りました。肩バンドの付け根や、バンドの革は、蝋糸で手縫いせなあかんので、手間がかかります。力もいるんで、男性の職人でも1日にいくつも縫えませんでした。
私が中学生の頃は、店にいつも各大学の山岳部の学生さん達がたむろしていて、時には自分でハトメを打ったり、手縫いでキスリングの修理をしていました。親父が「腹減ってるやろう」と、時々きつねうどんの出前を頼んで、学生さん達にご馳走してました。「苦学生には出世払いや言うてたのに、わしより早よう死んでしもうた」と親父が寂しそうにこぼしていたこともあります。滝つぼに落ちて、うちの帆布製のキスリングが浮きになって命拾いしたという話をしてくれた京大の先生もいはりました。

昔は仰山作っていたキスリングも、徐々に化学繊維のリュックに取って代わられて、今は使ってはる人も、めっきり少なくなりました。それでも、学生時代に買ってずっと使っている・・と、いまだに修理をお預かりすることがあります。お歳からすると、4、50年前のものなんでしょうな。このキスリングもいろんな山の景色をたくさん見てきたんやろうなと、羨ましく思いながら修繕しました。

うちでは今でも、キスリングをシンプルに小型にした、帆布製のサブザックを作っています。どこか懐かしく、街歩きにも使えるんで、世代や国を超えて愛用してもろうてます。
なお、写真のピッケルは、名工と称された山内東一郎作です。