カバン・袋物・帆布加工一式 一澤信三郎帆布

信三郎のええかげんな話

Date 2016.08.18

#57 時代遅れの男

私の携帯電話は、いまだに「ガラケー」です。電話をかけるだけやったら何の不便もあらへんし、時刻もわかるし。写真も撮ったことありまへん。唯一、ショートメールだけはできるようになって、限られた字数のなかに、おもろいことを入れて、ぴりっとまとまるように工夫するのは、脳死寸前の頭に活を入れる、ちょっとした頭の体操です。 
周りの人がみんな「アイフォン」というのを使うてるんで、電車の乗り継ぎや、美術館の開館時間なんかは調べてもろうて、それで事足りてます。
知らん土地へ行って、どこの店でご飯を食べようかというときには、若い人のように携帯のサイトで調べることはせんと、地元の人に尋ねたり、自分の目と鼻で旨そうな店を見つけるのが楽しみです。たまに大外れなこともありますが、それもまたご愛敬です。

こんなことで、私はパソコンに触ったことがありまへん。娘が仕事を手伝うようになって、まず「うちのホームページ、いまいちやわ。写真もきれいやないし、第一面白くないわ。」と言われ、大胆に変えられてしまいました。「社長がいろいろ発信して、自分の思うことをお客様に伝えるのも大事やし。」と言われて、致し方なくこの、「ええかげんな話」も誕生しました。

でもそろそろ飽きられてるかなー、ネタ不足やし。世の中に遅れ続けている私やけど、そうも言うてられへん時代になったんですな。うちの人からは、「パソコンぐらい使えへんと、老後に困るよ。」と脅かされてます。
そやけど「目立たぬように、はしゃがぬように、似合わぬことは、無理をせず・・。」
ガンジス川に、流れに行きますかなー・・。

Date 2016.07.27

#56 赤熊(しゃぐま)

祇園祭の山鉾巡行も終わって、京都の夏もいよいよ本番。
わたしは冬の底冷えは平気なんやけど、蒸し暑い夏は苦手です。ほんまにいややなー。
17日の祇園社の前祭の山鉾巡行が終わって、突然、生麩の老舗 “麩嘉”はんの息子さんが、大きな藁束を担いで来てくれはりました。何とそれは、“くじ取らず” で前祭の先頭を行く長刀鉾の、鉾の上部に取り付けてある「赤熊(しゃぐま)」というもんやそうです。遠くから眺めると小そう見えるけど、こんなに大きいもんやったんや・・。長刀鉾には七つ付いてるそうです。
歌舞伎の連獅子が付ける頭も赤熊。綾傘鉾の棒ふり踊りも、赤熊を被って棒を振ります。この藁束が同じ名前とはどういういわれがあるんやろうか。形が似てるからやとも聞きました。
さて、何のために飾るんか聞いてみると、火伏(火の用心)のためにおくどさん(かまど)の上の方にかけて置くという人もいはるし、家の玄関の内側にかけて置くと、厄除けになるという人もいはりました。
詳しい “いわれ” をご存知の方があれば、是非教えて欲しんもんです。
長刀鉾は、いまだに女人禁制。女性は昇れません。
赤熊は、女難除け?? 長いことありまへんけど・・・。
それより有り難い赤熊はんを、狭い店舗のどこに飾らしてもろたらええんやろうなあ。

Date 2016.07.02

#55 山男の贈り物

「キスリング」って知ってはりますか?
今の若い人はほとんど聞いたことがないやろうと思いますが、「キスリング」はスイスの登山家の名前で、帆布生地で作った登山用の大型リュックの名称です。昭和の初めに日本に持ち込まれ、徐々に広がったようです。昭和30年代に入ると登山ブームで、土曜の夜に国鉄(JR)の駅に、キスリングが山のように積まれていたのを覚えています。夜行列車で、遠くは信州あたりに行って、山に登ってたんでしょうな。

うちの店にも、大学の山岳部やワンダーフォーゲル部、探検部の学生さん達がよう出入りして、キスリングを買いに来ていました。キスリングは、両サイドに厚みのある大きなポケットを付け、口元はロープ絞り式で、雨蓋がないので絞った紐を肩バンドの根元の金具にくくりつけます。荷物の入れる順番を考えて自身で背負いやすいようにパッキングするには、経験と工夫が要りました。肩バンドの付け根や、バンドの革は、蝋糸で手縫いせなあかんので、手間がかかります。力もいるんで、男性の職人でも1日にいくつも縫えませんでした。
私が中学生の頃は、店にいつも各大学の山岳部の学生さん達がたむろしていて、時には自分でハトメを打ったり、手縫いでキスリングの修理をしていました。親父が「腹減ってるやろう」と、時々きつねうどんの出前を頼んで、学生さん達にご馳走してました。「苦学生には出世払いや言うてたのに、わしより早よう死んでしもうた」と親父が寂しそうにこぼしていたこともあります。滝つぼに落ちて、うちの帆布製のキスリングが浮きになって命拾いしたという話をしてくれた京大の先生もいはりました。

昔は仰山作っていたキスリングも、徐々に化学繊維のリュックに取って代わられて、今は使ってはる人も、めっきり少なくなりました。それでも、学生時代に買ってずっと使っている・・と、いまだに修理をお預かりすることがあります。お歳からすると、4、50年前のものなんでしょうな。このキスリングもいろんな山の景色をたくさん見てきたんやろうなと、羨ましく思いながら修繕しました。

うちでは今でも、キスリングをシンプルに小型にした、帆布製のサブザックを作っています。どこか懐かしく、街歩きにも使えるんで、世代や国を超えて愛用してもろうてます。
なお、写真のピッケルは、名工と称された山内東一郎作です。

Date 2016.06.06

#54 競馬のゼッケン

京都競馬場は、去年で開設90周年やったそうです。
うちの親父が、「競馬でみんなたいがい損しとるけど、儲けさしてもろてるのは、うちぐらいやな・・。」と昔によう言うてました。
というのは、競馬場からゼッケンの注文をもろうてたからなんです。
長いこと、競馬のレース用のゼッケンと、調教用のゼッケンを納めてたんです。
私が中学、高校の頃にぎょうさん注文をもろうてました。帆布を裁断してゼッケンの形に縫い上げて、そこに番号を縫い付けます。フェルトでできた番号をミシンで四重に縫い付けるのはなかなか難しくて、職人が帆布をぐるぐる回して【5】や【8】を縫っていたのを覚えています。
その時代の名残りが、うちの店の定番の「紫色」。重賞レースの天皇賞のゼッケンの色で、今でもうちでは「天皇色」とよんでいます。

今から10年ほど前に、テレビの『行列のできる法律相談所』の京都番外編で、うちの店が取り上げられました。武豊さんがゲストで登場して、自分が欲しいかばんをリクエストしはって、その時作ったのが、「ゼッケン型のかばん」でした。持ち手にはその頃に大活躍していた「ディープインパクト」の蹄鉄を付けるという、贅沢なかばんやった。うちの職人が、蹄鉄をかばんに付けるのに四苦八苦してました。かばんには武さんのラッキーナンバー【6】を縫い付けてあります。
おもろいかばんなんで、製品にしたいなーと思ってるんですが、金属製の蹄鉄は夏の日差しでは、もの凄く熱くなるやろうし、冬に北海道で持ったら、凍って手にくっついてケガしそうやし・・・残念ながら中断してます。
武豊さんは、今年デビュー30周年やそうで、美術館「えき」KYOTOで、30周年記念の武豊展(5月27日~6月12日)が開催されてます。記念のミュージアムグッズを作らせてもろうてるのも、不思議なご縁です。

そやそや、学生時代にゼッケンを納品に行った折に、段ボール箱に詰めたビール瓶のようなものがありました。
「これ、何ですか?」
「馬の浣腸や」との答えに、目が点に・・・。

Date 2016.05.07

#53 遠き昔の想いで

もう、かれこれ45年前になりますかいなー。私が大学生でたまたま一澤帆布の店番をしていた時に、中年の欧米人が一人でふらりと店に入ってきはりました。つたない英語を駆使してしゃべると、ハワイのカメハメハスクールという学校で、フランス語を教えているBill Gemmer さんという先生でした。私は学生で暇やったんで、次の日に大原の三千院などを案内することになり、その晩に、えらい上等の中華料理をご馳走になりました。
その頃は固定相場で、1ドル360円の時代。生涯、外国に行くことなど、夢物語でした。小田実の「何でも見てやろう」という本が流行った時代で、それに触発されてずうずうしく彼に手紙を出して、ハワイに行くことになったんです。学生の身に、飛行機代はべら棒に高すぎて、プレジデントラインという客船の一番安い部屋で、1週間かけてハワイに渡りました。
Billは、親切に港まで迎えに来てくれて、身元引受人になってくれ、そのうえアロハシャツと炊飯器まで買ってくれて、3週間ほど教員宿舎に居候してました。初めて見る巨大なスーパーマーケット。自分で品物をカートに入れて、現金でなく、パーソナルチェックにサインして支払うことなど、驚くことばかりでした。その後、こちらからは2度ほどハワイを訪ね、Billも2度京都に来てくれました。
そして1週間ほど前、ハワイから分厚い封筒が届き、開けると中身は、私が何年にもわたって彼に送っていた写真や手紙でした。Billの友人が、彼の遺品を整理して送ってくれたようで、Billは写真を大事に居間に飾ってくれていたそうです。Billは生涯独り身で、自分の人生を楽しみたいから家族は持たない主義で、休暇には世界中を旅していました。
「なぜ旅に?」と尋ねると、「To see more of life」が答えでした。

友人の手紙には「Billは信三郎という友人ができて、そこに奥さんが加わって、娘たちができ、孫達ができて、彼の人生に広がりができたと思う」とありました。93年の生涯でした。
45年にわたった友情に幕が下りました。
独り身やない私にも、未だ漂泊の火だねはくすぶってますが・・・。