カバン・袋物・帆布加工一式 一澤信三郎帆布

信三郎のええかげんな話

Date 2016.09.09

#58 永さんのこと

8月30日に、東京の青山斎場で永六輔さんのお別れ会があり、その後のお別れライブにも行ってきました。懐かしい顔ぶれの方々のお別れの挨拶が、どれも心がこもっていて、みんなが永さんのこと大好きやったんやなー。ええ会でした。そして、「子供を飢えさせるような戦争は絶対したらあかん」という宿題を、私たちに残して旅立って行かはりました。

永さんとは、1991年に親父が「職人」というテーマで対談して以来の長い付き合いです。その頃、永さんは50代やったと思います。頭は角刈りでがっちりしてはって、偉丈夫な方やなあというのが第一印象でした。それまでは、かばんは持たんと風呂敷包一つで旅に出てはった永さんですが、うちのかばんを気に入ってもろうて、それからずっと使うてくれはるようになりました。

その後、無理をお願いして、永さんにうちの日本手拭いのデザインをしてもろうたり、「布包」と言う字を墨書してもろうて店の暖簾にしたりと、いろいろお世話になりました。「原稿料はどうさしてもろたらよろしいか」とお尋ねすると、「隣りの旨い焼き芋でいいよ。」との答えでした。そのうち隣りの焼き芋屋さんは廃業して、借りはほとんどお返し出来んままになってしまいました。

東日本大震災の復興支援に、うちのかばんに絵を描いてオークションにかけ、全額を寄付するという企画にも賛同してもろうて、かばんにトンボの絵を一面に描いて持ってきてくれはりました(ええかげんな話 #12 永六輔さんと)
“トンボは決して後退しない、まっすぐ前にしか進まない” トンボの柄がお好きな方でした。車椅子になっても、前に前に進んではった永さん。そう言えば、尺貫法廃止に体を張って反対してくれはった。
お陰で、うちでは今も尺差しが現役です。
パーキンソン病に罹らはっても、「僕は、パーキンソンのキーパーソン。」と笑いにしてはった。
照れたような笑顔に、もう会えへんと思うと、寂しいですなぁ。 

生きているということは 誰かに借りをつくること 
生きてゆくということは その借りを返してゆくこと 
誰かに借りたら誰かに返そう 誰かにそうしてもらったように

永 六輔