カバン・袋物・帆布加工一式 一澤信三郎帆布

信三郎のええかげんな話

Date 2018.01.18

#77 狛犬はん


今年は、戌年。
私の年賀状は、狛犬を木版で彫ってみました。お気に入りの狛犬を参考に彫ったんですが、下手さ加減が、ご愛嬌です。

狛犬とは、神社の入り口に奉納された、「獅子・狛犬」が始まりで、口を開いて角のない「阿像」が獅子を表し、口を閉じて角のある「吽像」が狛犬を表しているんやそうです。
インド・ガンダーラを経由して中国に入り、遣唐使が獅子像として持ち込み、今の阿吽の形式になったとか。今では、どちらも狛犬と呼んでいるようです。
阿像の狛犬はんの表情は、“呵々大笑”しているようで、いかめしい中にも心を和ませるものが多いんです。
神社で頻繁に目にするものは、石造りですが、古い狛犬は木造です。
写真の狛犬は室町時代のものやろうと言われてますが、どこで生まれて、どこを渡り歩いて私のもとに来たんやろう。尋ねてみたいもんです。

もう1枚の写真は、焼き物の狛犬です。友人の陶芸家の辻村史朗はんの初期の作品で、彼が自分で山中に古材と漆喰で建てた茶室の入り口を、長いこと守ってました。それが、かれこれ20年ほど前になるんかな、うちの人が余程欲しそうに見ていたらしく、辻村はんが「これ持ってけ」と手渡してくれたもんです。石の塊のようなのに、阿吽の狛犬に見えるのが、なんとも不思議やなあ。
今もうちの狭い玄関を守ってくれてます。
私より断然、存在感と可笑しみがあって頼りになる狛犬はんです。

Date 2018.01.01

#76 今日無事



Date 2017.12.19

#75 おもろいなー

だんだん年とともに、おもろいなと思うことが減ってきたような気がします。
たまに映画を観に行きますが、残念ながら近頃は映画の中でしか夢を見られへんのです。えらいこっちゃ。おもろいことがなくなってしもうたら、人生終わりやのに・・。
毎朝、事務所で短い朝礼をします。朝礼というと大層やけど、それぞれの連絡事項のほかに、私が見たこと、聞いたこと、印象に残ったことをぼちぼちしゃべります。
もちろん、私のおしゃべりをみんな真面目に聞いてくれるんやけど、おもろいと思って聞いてくれるのか、なんとなく聞き流すのかでは、えらい違いやと思うんです。
例えば「昨日どこそこに行ってきた」と話して、「そこ知ってるか?」と聞いてみる。関心を示さんもんは、あんまり他のことも知らんし、行ってみようともしない。知らないけど、興味を持って行ってみようと思う社員は、他の話題にも食いついてくる気がします。
店に生けてる花も、その名前も覚えへんし、興味がなければ枯れてもそのまま。季節ごとに、その時期に似合うた絵や書に掛け替えてることも、興味のないもんは、知らんままです。額縁がゆがんでても直すこともありません。
そう言えば、新聞を取ってへん社員も多いんやけど、新聞には話題が満載。読んでみれば、好きなことだけでなく、いろんなことに関心を持つきっかけになるんやないかな。こんなことを積み重ねていけば、感性が鋭くなり、かばんを作るセンスも磨かれると思ってるんです。
“ おもろいなー ” の気持ちを持ち続けることが、若さの秘訣やと思って、これからもせいぜいおもろいこと、探そう。
そやそや、得体の知れんけったいな人にも出会おう。

Date 2017.11.17

#74 緑の手

うちの工房の屋上に、小さい庭があります。空いたスペースに、いろんな好みの草木を植えています。初めて訪れた五島列島にある久賀島(ひさかじま)の崖っぷちに、強風にさらされながら黄色い菊が凛々しく可憐に咲いていました。その過酷な環境はまさに “疾風に勁草を知る” でした。
一本だけ持ち帰って植えたら、知らん間にぐんぐん増えて、狭い庭の特等席を席捲しています。居心地が良かったんやろか。野生種の菊なんで、ええ香りがするんです。

毎日水をやりながら「きれいに咲きや」と声をかけてると、毎年花芽の多少はありますが、よう咲いてくれます。
春先は、マンサク、サンシュウ、ミツバツツジ、笹百合、梅花うつぎ、夏は山紫陽花、桔梗や吾亦紅(われもこう)、宗旦むくげ。秋は、貴船菊や江戸ホトトギス、笹竜胆(りんどう)もたくさん花をつけてくれました。冬になれば、侘助の白や薄桃色の花が楽しみです。藪椿も素朴で風趣があります。
花が終わると、「ご苦労さんやったな、来年も頼むえ」と、肥料をあげます。たまにメジロが “つがい” で訪れてくれます。

花を育てるのが上手な人のことを、「緑の手を持つ」と言うそうなんやけど、女性との関わりは、なかなか花のようにはうまいこといかへん。花が育つように女性もうまいこと育ってくれたらええんやけど・・。
花の好きな友人といつも言うてるんです。「花はええなあ、文句も言わんし、カードも使わへんし・・。」

Date 2017.10.16

#73 永遠のランドセル

戦後の混乱から、日本が漸く立ち直りかけたころに、地元の粟田小学校に入学しました。その頃はどこの家も子だくさんで、1クラスが五十人ほど、一学年で5クラスあったように思います。
宿題はほとんどなくて、家に帰るとカバンを放り出して暗くなるまで、近くの白川や東山で遊び呆けてました。それでも遊び足りんで、夕飯を終えるとまた路地に集まってメンコやビー玉をしたりしてました。塾もあらへんかったからほんまによう遊んだもんです。
家が商売してたんで、そろばん塾だけは行かされました。ゆるい先生にさぼり癖のある生徒で、ものにならへんかったなあ。
革のランドセルが出回り始めた頃で、たくさんのピカピカの1年生がそれを背負うてたんで、羨ましくて親にねだった覚えがあります。私のは帆布製で、たぶん兄のお古やった。親父としても矜持があったんか、うちの方が軽うて丈夫やし、いつまでも使えるでと作ってくれたんやと思います。
うちの娘の時も、もちろん帆布のランドセルを持たせました。今は孫も帆布のランドセルを使うてるんで、三代で使うてることになります。
帆布のランドセルは、使わなくなればリュックとして旅行やハイキングにも使えます。大学生になっても使うてるお客さんもいはります。どれだけの思い出が詰まってるんやろうねえ。
ランドセル型は、近頃年齢を問わず、また外国の方にも人気です。
ところでこの集合写真ですが、どなたかの記憶にありませんか?
下手なパクリです。(写真家・植田正治さんへのオマージュです。)