カバン・袋物・帆布加工一式 一澤信三郎帆布

信三郎のええかげんな話

Date 2017.02.23

#64 能登の新ちゃん

もう25年ほど前に、友人の紹介で能登の珠洲という所にある宿に泊まりに行ったことがあります。もとは、漆かぶれを治すための湯治場やったらしい。
宿の主人が新ちゃん。高校生の時に器械体操で脊髄を痛めて、少し歩くのが不自由でした。
田んぼの奥の山あいにぽつんと立っている宿は、すっきりとした木造。地元のあすなろの木を使った能登の民家風で、玄関に一輪「みずひき草」が活けてありました。漆塗りで艶びかりした廊下の奥は、昔風の蛇口が三つ並んだ洗面所で、涼しい風が通って中庭を見ながら顔を洗います。無駄な飾りも無うて、何もかもがセンスようできてるのに感心しきりでした。
新ちゃんのお母さんが作る海水で固めた寄せ豆腐や、新ちゃんの打った蕎麦に、季節の野菜や桔梗の花を揚げた天ぷら、朝ごはんに食べた絶品の魚の干物・・・どれもシンプルで旨いもんばかりやったなぁ。
その後、うちのエプロンをした新ちゃんが、うちのかばんを好きな女性のお客さんと出逢って、無事に結婚に至りました。うちのエプロンが縁結びになったんですわ。

先日20数年ぶりに、“ 機嫌ようしてるか ”と、新ちゃんを訪ねました。宿は冬眠中で、雪に埋もれてました。今度は玄関にはたくさんの水仙が活けてありました。今だに客室にテレビもオーディオも、もちろんトイレも洗面所もありません。雪がさらさら降るのを眺めながらの風呂も読書もええもんでした。
こんなところに暮らしてたら、清貧な竹林仙人のような人間になれるかと思うけど、そうはいきません。新ちゃんは少しは大人しゅうなったようやけど、私と一緒で街の灯も嫌いやないんや。
私もまだ枯れ木やないんで、たまには京の街の灯に誘われて、夜の托鉢に出かけます。
春になったら、新ちゃんが丹精して育てている自慢の筍を食べに行きたいもんです。
新ちゃん、もうちょっとお互い元気でいような!!

Date 2017.01.28

#63 芦生の研究林

京都の北、美山の奥に、芦生の研究林があります。面積は4,200ha・・どんな広さか見当が付きませんが、平安京をすっぽり包みこむ広さなんやそうです。
総延長37㎞の林道があって、歩道は160㎞もあるので、維持保全が大変です。
この原生林を、京都大学が99年間の契約で借りているんやそうですが、それが2020年に終わるんで、新たに契約をしなければならんそうです。
この原生林を守るために、「京大芦生研究林基金」が作られました。

私は、30年以上前から、不思議とこの森に縁があるんです。
その頃は、京大の演習林と言ってました。美山の自然と暮らしが気に入って移り住んでいる友人に誘われて、きのこ狩りに行ったことがあります。
美山で染色をしている人や、民宿をしている人、絵や陶芸をしている人、もちろん林業に従事している人もいて、皆で山を歩き回って、朽ちた倒木に生えたヒラタケなどのきのこを探し、鍋を愉しく囲んだ思い出があります。
その後に、この森に揚水ダムを造るという計画が降ってわいて、この森を守らなあかんと、反対運動の勉強会がありました。京都大学の植物生態学の先生の先導で、大勢で森を歩いたんですが、植物や樹木の名前を実によう知ってはる先生でしたわ。雑草と言う名の草がないのと同じで、私が知らんだけで、当たり前やけど、どんな草木にも名前があるんですなあ。
山川草木悉皆成仏・・・。
幸いなことに、この計画は2006年に中止になりました。
今から20年ほど前に対面した、巨大な芦生杉の奇怪雄大な姿も忘れられません。
何百年もの風雪に耐えてきたんやろうな。これに比べて、我が身の存在の軽さは・・・。
「芦生研究林基金」に3万円以上寄付をしてもらうと、写真のようなうちのかばんがもらえるんですが、残念ながら規定の100人に達して、今年は終了してしまいました。寄付の受け付けは引き続きやってはります。
今回は、私に似合わん真面目な話になってしまいましたな。

Date 2017.01.01

#62 酉と酒

「いざや寝ん 元日は又 翌(あす)の事」(蕪村)
明日は明日の事、と・・・ぐっすり眠り、爽やかに目覚めました。
皆さま、明けまして御目出度う御座います。
本年が、皆さまにとって平穏で幸多き年でありますように。

京都は、「けったいな人」がそこかしこに生息してる街です。「けったいな人」がありのままに生きていけるのが京都なんです。
ところが「けったいな人」が人の上に立って、権力を持ったらえらいことになるんです。
「けったいな人」は、街の片隅で、勝手気ままに、無為に生きてるんが似合うてるんで、 “偉い” 人になってしもうたらあかんのです。そうなったら「けったいな人」とは言わんと、「香具師(やし)」や「独裁者」になってしまいます。

せっかくの “酉” 年、今日は「けったいな友人たち」と “酒” を一献。
本年もお引き立てのほど、よろしくお願い申し上げます。

Date 2016.12.07

#61 大きな古時計

20年余り前の休日、いつものようにぶらぶらしていると、寺町通りで、古い時計が並んだ小さな店を見つけました。なんとのう、覗いてみると、薄暗い店の奥に狭い工房があって、店の壁にいくつかの掛け時計が並んでいました。聞いてみるとほとんどが外国製で、100年以上も前の時計ということでした。
ねじを巻いて振子で時を刻みます。時を知らせる、“ ボーン、ボーン ” という音が何とも言えずゆったりしていて、すっかり気に入ってしまいました。
最近の電池で動く時計とは違って、少し進んだり遅れたり・・・と、癖はあるようですが、1分1秒を争うような仕事はしてへんので、私にはこれが似合うてます。店の1階の柱に掛けていますが、ドイツの「グースタブベッカー社」製で1890年ぐらいのものだそうです。打ちっぱなしの店舗に、時報が優雅に響きます。
その後に、またおもろい時計を見つけました。店の2階に掛けてある時計です。達磨のような型で、何と月と日付と曜日を表示します。閏年もあるし、毎月の日数も違うのに、どうやって合わしてるんやろうか・・・。私の頭では皆目わかりません。ただ、時々くるって調整してもろうてますが、それもまたご愛敬です。これはアメリカの「ISAKA」製のトリプルカレンダーで、1900年ぐらいに製造されたものやそうです。
最後の一つは、昔からうちに伝わる、100年以上も時を刻んできた時計です。
アメリカの「Waterbury co.」のもの。やっぱり1890年ぐらいのものらしい。以前に時計に詳しいお客さんから「これは、キッチンクロック」と言われました。アメリカの庶民が台所に置いてたもんなんでしょうな。
うちの時計は「大きな古時計」の歌のように100年で終わらんと、まだまだしぶとう動いてます。機械時計は、コンピューター制御のもんと違うて、いつまでも修繕して使えるんです。
私は部品交換も利かへんし、深酒やめて、もう少しへこたれず長持ちせんと・・。

今もそのお店は東大路新門前を西に行ったところにあって、いろいろな古時計が、様々な音で時を知らせています。
http://furukabu.com/

Date 2016.11.09

#60 お神輿さんが目出度く元のお姿に

うちの氏神さん粟田神社は、貞観十八年(876年)に創建されたという、由緒正しい神社です。神輿は1トン以上もある威風堂々とした立派なものです。重いうえに担ぎ手不足で神輿の渡御は1959年から40年以上も途絶えていました。
それが粟田祭の1000年祭を機に復活したんですわ。
その神輿は、文久2年、約150年ほど前に作られたものです。さすがに長い年月を経てそこかしこに傷みが出て、いっぺんここらで大修理をせなあかんなということになりました。彦根の工房で修理してもらうことも決まって、さて、修理費用を集めんならん・・・。一年がかりで氏子や賛同者の皆さんの浄財が2000万ほど集まりました。欠損したものを補い、新たに渡金(金メッキ)を施して、今年のお祭りに燦然と輝くお姿で戻って来はりました。そやけど、伝来の金工・木工・漆芸などの技法がこれからも伝わっていくんか心配やなあ。

屋根の上には、“宝珠” に代わって華麗な “鳳凰” が!!不思議なご縁で先代の神輿が滋賀県の神社に納まっていることがわかって、お蔵から長年出せずにしまったままの神輿から、鳳凰を有り難く譲っていただけることになりました。その鳳凰が元の粟田の地に150年ぶりにお目見えすることになったんです。ところが100キロ以上も重うなったうえに、鳳凰さんのお陰で高さが大分に高うなりました。神社の鳥居をくぐれるやろうか、青蓮院の勅使門にぶつからへんやろうか・・。色男で力のない会長の私は、ハラハラドキドキでした。
いよいよ10月10日、朝から快晴となって、眩しいぐらいに金ぴかの神輿の雄姿が青空に映え、大神さんのご加護で鳥居も門も無事にくぐることができました。大勢の担ぎ手が威勢よく力を合わせてくれはったことは、言うまでもありません。
私は今更修繕しても20代には戻れへんので、そろそろ若うて力のある色男に、会長を譲りたいもんです。