カバン・袋物・帆布加工一式 一澤信三郎帆布

信三郎のええかげんな話

Date 2018.04.25

#81 ゴリラと人間

京都市立芸術大学の学長の鷲田清一さんと、京都大学の総長の山極寿一さんとの対談が「都市と野生の思考」(集英社)と言う本になっています。
おもろいなーと思ったのは、ゴリラと人間に共通するリーダーシップの話です。
松下幸之助さんが社員にリーダーの条件を三つあげたそうです。
まずは愛嬌、二つめは運が強そうなこと、三つめが後ろ姿やそうです。
愛嬌とは、まわりをハラハラさせるけどなぜか憎めない、まわりにいる人に、私が見てあげないと、と言う気持ちにさせる。
運の強そうな人と言うのは、その人のそばいると、なんだかすべてがうまくいきそうな気になる人。
後ろ姿のかっこいい人は、背中だけで見ている人の想像力を掻き立て、まわりの人をアクティブにさせる、ものすごくかっこいいリーダーなんやそうです。
それが全部、ゴリラのリーダーに当てはまるってほんまにおもろいなあ。
オスのゴリラは巨体で200キロを超えるんやけど、その力を抑制できるんで、みんなが安心して寄ってくる。本当は強いんやけどそれを抑えていることができる、それが愛嬌なんやそうです。
ゴリラの運が強そうというのは、そばにいると大丈夫だということ。胸をどんどん叩いてドラミングして、まわりを威圧すると、彼のそばにいれば安心ということになる。
そして、ゴリラのリーダーは群れの先頭を歩いて絶対に振り返らない。背中で語ってるんやなあ。
私は裁判運(?)も無かったし、備わってるのは、わずかに愛嬌だけや。まわりにほっとけへんと思われて、ここまで来られたんやと、しみじみ思います。
後ろ姿も自信ないけど・・、後ろ姿だけは鷲田清一さんと似てるのは、ご愛敬です。
さて、このツーショット、どちらが鷲田はんで、どちらが私の後ろ姿でしょう?
よう似た頭ですが、中身は格段の違いがありますなあ。

Date 2018.03.30

#80 拈華微笑(ねんげみしょう)

インド、ネパールの釈迦牟尼の仏蹟巡拝の旅の途中で、ふと、“ 拈華微笑(ねんげみしょう)” の言葉が浮かびました。
はるか昔、お釈迦さんがいつものように説法されていた時のこと。ある日、金波羅華(こんぱらげ)と言う花を、指先でつまんで無言のまま弟子たちに差し出しました。すると、みんながきょとんとしている中で、弟子の迦葉(かしょう)だけが、その意を悟って微笑された・・。
ほんまにわかり合っている者同士に言葉はいらない、お互いに顔を見合わせて微笑するだけでちゃんと意は通じるということ。
心から心へ、“ 以心伝心 ” “ 不立文字(ふりゅうもんじ)” ということやそうです。
こうして、お釈迦さんの尊い教えは、迦葉尊者(かしょうそんじゃ)に伝えられました。

この話はいったいどこでの出来事やったんか、ずっと気になっていた言葉でした。
今回の旅で、霊鷲山(りょうじゅせん)を訪れ、ここがその場所やと分かって、しみじみと嬉しく、お釈迦さんと迦葉尊者との場面を想像したことでした。
霊鷲山の岩の上には、“ 天上天下唯我独尊 ” と、猿が瞑想していました。
それにしても、日本も含め、近隣の国の偉い人たちは、お互いに心を伝え合うのが下手やなあ。核兵器を持たんと拈華微笑とはいかへんのやろうか・・。
南無釈迦牟尼仏。

Date 2018.03.15

#79 インド遊行

昔からの知り合いのけったいな和尚に誘われて、体力気力の残っているうちに行っとかな・・と、インドとネパールへ釈迦牟尼の七大仏蹟を巡拝する旅に出かけてきました。
和尚は、若かりし頃にインドの大学に五年間留学して原始仏教を研究し、その後、此の地を行脚した先達です。かなり強行な日程と、インド(?)に当たり、メンバーのほとんどが途中から体調不良に陥りました。
私は何とか無事に帰国したものの、ほっとしたのか、2、3日後に体調が悪うなって、食欲減退と腸の不調であっという間に3キロ痩せるという体たらく・・。何でや?
ラオスや、ミャンマーの国境にも行ったけど、こんなこと初めてや。1か月近く経って、漸く快復してきたところです。
インドは魔境、ハマる人と金輪際こりごりに分かれるそうやけど、今のところもういっぺん行こうとは思わへんなあ。
ネパール・ルンビニの釈迦の生誕地や、インド・スラバティの祇園精舎、クシナガラの涅槃堂、ブッダガヤの金剛宝座などの仏蹟を訪れましたが、その地で先祖の追善供養の法要をしていると、涼風がわたり、菩提樹や沙羅双樹の木陰にお釈迦さまのお姿を彷彿とさせる、崇高な気配を感じました。
ところが、旅の途中のインド北部の風土と民衆の暮らしは、想像を絶するもので、ほんまに百聞は一見に如かず、とつくづく思わされました。
乾季の土埃とごみの山。信号が無いうえに交通ルールも無視して、交差点に突っ込む自転車、馬車、単車、トラック、バスの群れ。そこに鳴り響くクラクションの騒音。車が渋滞するとへっちゃらで対向車線を走る車。
昼も夜も、道に横たわる人、牛、野良犬の群れ。
スラム街で空を見上げれば、盗電のための絡み合った電線や針金。
太古から変わらない極貧の生活の中で生き抜くたくましい人々。
驚きの連続で、今でも情景がフラッシュバックします。

ベナレスでは、聖なるガンジスの河岸で、何体もの亡骸を火葬して流していました。そこでは老若男女が静かに沐浴をしている姿もありました。
「あかんようになったらガンジスに流してや。」とうちの人に常々壮語してたんやけど・・、得体の知れん大河を見てからは、もういっぺん考えさせてもらいます。
僅か11日の巡拝の旅でしたが、いつの日かお釈迦さまの下に伺った折に、“ あんた、誰や ” ではなく、“ なんや見たような顔やな ” とおっしゃっていただければ有難いことです。

Date 2018.02.17

#78 楽しんで走りや

明日2月18日は、京都マラソン。
うちには走りの速い職人がいるんです。
別にマラソンを走ってもらうために採用した訳やありません。
以前にええかげんな話で紹介したように、職人になりたいという熱い手紙をくれて3年以上欠員を待って職人になってくれた男です。
彼は群馬県の嬬恋村の出身で、キャベツ畑を走って中学、高校に通学したんで、走りが速いらしい。入社した最初の年、京都マラソンの抽選に外れて、出られへんと残念がってたんで、私が男気(?)を出し、ふるさと納税枠を申し込んで、その出場枠を譲り走れることになりました。

そやけど、それはそれは、ようけ(たくさん)の人が走るんで、後方の枠からスタートラインに進むまでが大変でした。
その年にそこそこの成績を残したんで、翌年はA組で走ることができて、16,000人の中で25位になりました。3度目の挑戦となる昨年は、17位で完走!!みんなの期待が高まります。
今年は、デザインを担当している職人が、彼のためにユニフォームを新調してくれました。気の毒なことに、うちの織ネームを三つも並べて縫い付けて、まるでうちの広告塔のようなユニフォームです。応援用のメガフォンまで手作りしました。

いよいよ本番。西京極陸上競技場を出発して、平安神宮前まで走り抜けます。
偉いのは、入社した4年前と体型が変わらんことです。朝暗いうちから走って仕事が終わった夜も走るらしい。夜に一杯飲んでふらふらと帰ってくる私とはえらい違いや。そやから普段から頑張ってへん私が、頑張れとは言えへんなあ。
そこそこでええで。
黒岩君よ、そんなに頑張らんでええんやで・・。

Date 2018.01.18

#77 狛犬はん


今年は、戌年。
私の年賀状は、狛犬を木版で彫ってみました。お気に入りの狛犬を参考に彫ったんですが、下手さ加減が、ご愛嬌です。

狛犬とは、神社の入り口に奉納された、「獅子・狛犬」が始まりで、口を開いて角のない「阿像」が獅子を表し、口を閉じて角のある「吽像」が狛犬を表しているんやそうです。
インド・ガンダーラを経由して中国に入り、遣唐使が獅子像として持ち込み、今の阿吽の形式になったとか。今では、どちらも狛犬と呼んでいるようです。
阿像の狛犬はんの表情は、“呵々大笑”しているようで、いかめしい中にも心を和ませるものが多いんです。
神社で頻繁に目にするものは、石造りですが、古い狛犬は木造です。
写真の狛犬は室町時代のものやろうと言われてますが、どこで生まれて、どこを渡り歩いて私のもとに来たんやろう。尋ねてみたいもんです。

もう1枚の写真は、焼き物の狛犬です。友人の陶芸家の辻村史朗はんの初期の作品で、彼が自分で山中に古材と漆喰で建てた茶室の入り口を、長いこと守ってました。それが、かれこれ20年ほど前になるんかな、うちの人が余程欲しそうに見ていたらしく、辻村はんが「これ持ってけ」と手渡してくれたもんです。石の塊のようなのに、阿吽の狛犬に見えるのが、なんとも不思議やなあ。
今もうちの狭い玄関を守ってくれてます。
私より断然、存在感と可笑しみがあって頼りになる狛犬はんです。