カバン・袋物・帆布加工一式 一澤信三郎帆布

信三郎のええかげんな話

Date 2017.06.24

#69 えらいこっちゃ

うちの本、作らへんかと勧められながら、「あかん、あかん、やめとこ、そんなもん作ったかて誰も買うてくれへんわ」と、ずっと断り続けてきました。
それが、担当の女性編集者さんの粘り勝ちで決まってしもたんです。私は相変わらずとことん粘れへん性格やなあ。

さて、皆さんはうちのどんなところを面白がってくれはるんやろう?
なんとかかんとか110年余り帆布加工の仕事をしてきたので、昔のかばんやら、なんやら、かんやらを出してみると、あるわあるわ・・・。こんなんいつ頃作ったんや・・・?
うちのかばんが並んでるだけでは面白ないので、かばん作りのいろいろな素材、工房での職人のものづくりの風景、かばんをたくさん使うてもろてる友人たちにも、登場してもらいました。
うちの歴史のページもあります。ひい爺さんが変わりもんで、明治時代に「京都音楽会」というバンドを結成したり、「古木仙宅」というしゃれっ気のきいた名前でドライクリーニング屋を始めたりと、いろんなことに手を出して、辛うじて続いてきたのが、今の帆布加工やったんでしょう。

かばんの作りの詳細や、修理の現場も見ていただけます。
えらいこっちゃ!
しばらく雲隠れせなあかんやろか・・。

Date 2017.06.05

#68 私も、たまには

私が常に肌身離さず使うてるのは、もちろんうちの帆布かばんで、S-02小、通称 “托鉢かばん” です。このかばんのサイズやと、中身はせいぜい手帳と携帯電話、名刺入れ、キーケース、ペン差し、ハンカチでほぼ一杯です。これ以上は放り込めず、肩も凝りません。
昼はもちろんのこと、たまには夜もこれをたすき掛けにして夜の托鉢に出かけます。喜捨してもらうんではなく、どちらかと言えばこちらが、紅灯のちまたに、僅かばかり布施をするんですが…。たすき掛けにしておけば、どこかで酔っぱろうて沈没しても、置き忘れることはありません。

うちには、専属のデザイナーはおりません。強いて言えば「こんなかばんはできへんか?」と要望を言ってくれはるお客さんがデザイナーでしょうか。
とは言うても、うちの職人も月に一度、自分自身が作りたいかばんを好き勝手に作ってもええと言う日があるんです。新作への思いが募った職人たちが集まります。自分で使いたいと思わんと、ほんまにええもんは出来まへん。
私は普段、空気のようなもんやけど、ここらで少しは存在感を示さんとあかんなあ・・・と、自分が使いたいかばんを考案してみました。
基本は、いつも使うてるS-02小のサイズです。うちでは昭和30~40年代に、登山隊や探検隊の野外用キャンプテントやリュックを手掛けていました。せっかくやから、当時テントを張るのに使うていたロープや、自在(今はこれをダッフルボタンと呼んでいるようです。うちでは通称 “おしゃぶり” でした)を使うてみました。
麻帆布に、綿ロープと木製の自在を組み合わせて、できたんが「IS-28」です。
お陰さんで、ぼちぼち人気です。
辛うじて、私にもまだ創作力残ってますやろうか。

Date 2017.05.15

#67 里山十帖と越後の春

4月の最終月曜日、京の「草喰 なかひがし」さんと共に、新潟県の魚沼にある「里山十帖」という旅館でのイベントに行ってきました。
参加者が昼過ぎに集合して、魚沼の里山で山菜を採って、夜はその山菜を使った中東さんの料理をいただくというのが主な内容で、その隙間に、私が前座で、うちのモノづくりや商いについて、つたない話をすることになりました。山菜採りに持って行くのは、うちが作らせてもろうた「なかひがし」さんの開店20周年記念かばん。
旨そうな野菜の線画を散らした、いかにも中東さんらしい帆布かばんに、おにぎりと水、軍手を入れていざ出発です。
中東さんが「私は晴れ男ですわ」と自慢してはっただけあって、当日は雲一つないピカピカの晴天。まだ雪の残っている越後の山々が青空の下に連なって、素晴らしい眺めでした。
田んぼの畔に点々と咲いているのは「フキノトウ」、びっしりと林のように「土筆」も並んでいます。中東さんに教えてもらいながら「カンゾウ」「独活(ウド)」「コゴミ」「ヨモギ」「ゼンマイ」「イタドリ」・・、「スイバ」はちぎって食べるとほんまに酸い味でした。「木の芽」は京都では山椒の葉のことやけど、ここでは「ミツバアケビの芽」のことでした。湯がいて食べるんやそうです。
青空の下で、新潟のお米で作った塩味だけの旨いおにぎりと一ぴきのめざしをほおばって、みんな一生懸命、山菜を採って、子供に還った一日でした。

夕食の前が、私の出番です。うちの仕事を30分にまとめたDVDを見てもらいながらの、ええかげんな話です。皆さん疲れてはるのに、よう我慢して熱心に聞いてくれはりました。
里山十帖の、とろりとしたお湯の露天風呂から眺める棚田と、夕日に染まった越後の山並みは絶景でした。

夜は楽しみな、中東さんと、こちらの料理長のコラボの料理です。山菜の白和え、白味噌のおつゆ、鯉の刺身・・・・。最後に煮えばなのごはん。越後のお酒のすすむこと。
すっかり酔っぱろうて、部屋に戻ったらそのまんま夢の中でした。

それにしても、中東さんは京の北部花脊の山の民、私は京の下町育ち、食糧難の時代には中東さんは逞しく生き延びはるやろうなあ。
私はあっさり・・・、あかんやろうね。

Date 2017.04.17

#66 本橋成一さんとかばんたち

本橋成一さん、ご存知の方も多いと思いますが、社会派のカメラマンで映画監督、そして、たぶんうちのかばんを世界一たくさん持ってはる方です。
私が35年ほど前に会社勤めを辞めて店に戻った頃には、既にうちのかばんのお得意さんでした。
本橋さんは土門拳賞も取らはった有名なカメラマンですが、いつも持ってはるのは小さなフィルムカメラ、たぶん古いライカです。撮影はとてもさりげなくて、いつ撮られているのかわからんぐらいです。それやから、自然な、ええ写真が撮れるんやろうね。
本橋さんのことは、「ある精肉店のはなし」「アラヤシキの住人たち」などで何度か紹介してるんですが、今回初めてご自宅にお邪魔して、かばんのコレクションを撮影させてもらいました。
本橋さんの取材用のカメラバッグは、長年特注で、うちの定番のかばんの改造型です。カメラやズームレンズ、ストロボなどを入れるんでマチを広くして、両サイドに大きなポケットを付けています。
2003年に「アサヒカメラ」と言う雑誌で、本橋さんとうちの店とで「職人の街京都で、理想の帆布製カメラバッグを作る」という企画をしました。4号にわたって、ああでもない、こうでもないと試作を重ねて、本橋さんに取材旅行にも使ってもろうて、完成させました。その後、そのカメラバッグがうちの定番商品(S-04)にもなっているんです。
それにしても、出るわ出るわ、押入れから出てきたかばんの多いこと・・・。
これでも、かなりな数のかばんを知り合いにあげてるんやそうです。どのかばんも程よく使い込まれているのも貫禄もんです。
本橋さんにこんなにもかばんを買うてもろてたんやねえ。足向けて寝られへん。
おおきにです!

Date 2017.03.16

#65 ハサミ研ぎ

うちの職人たちが使ってるハサミは、昔から仏光寺近くの同じ刃物屋さんから買うてます。
大バサミ、中バサミ、糸切バサミは、職人たちがそれぞれ「マイハサミ」を使ってるんです。そしてこの刃物屋さんが一ヶ月に一度ハサミを取りに来てくれて、研いでくれるんです。そやから職人たちは2丁のハサミを、代わりばんこに研ぎに出して使うてます。ハサミには間違わんように、職人の個人名を入れてます。片刃ずつ研ぐんで、外したネジは元の組み合わせにきちんと戻るように、番号順に置いていきます。
いつ頃からこの刃物屋さんにお世話になってるんやろう・・・。
うちの祖父の時代からなんで、80年ぐらいになりますかなあ、ほんまに古い付き合いです。
幼い頃に祖父にこのお店に連れて行ってもろうて、ハサミや包丁を研いではるのを面白いなあと、 眺めていた記憶があります。
その時に、刃物を研いでる砥石で水が鼠色に濁っている中に、赤い金魚が泳いでいたのが、強く印象に残ってます。研ぎの水桶のボウフラを食べてくれるんで、夜店で手に入れた金魚を飼っているそうやけど、こんな濁った水で暮らしてたら、眼が見えんようにならへんかなーと、心配したことを未だに覚えてるんです。子供心にびっくりしたんやろうね。
その後、今のご主人の代になって、「うちは跡を継いでくれる者が居りませんので、私が仕事ができんようになったら終わりですわ。」と言われてました。息子さんたちはそれぞれ勤め人になってしもうて、あとを継いでくれんそうなんです。えらいこっちゃなあ・・と思っていたら、ひょんなことから、娘婿さんがこの家業を継いでくれることになりました。今では、舅さんと婿さんが仲良う交代で配達に来てくれてます。

ハサミは研いでは使い、研いでは使いしているうちに、だんだん刃が小そうなっていきます。新人の職人に、さら(新品)で渡したハサミは、職人の大事な道具で、長年の歴史やから、退職するときには餞別に渡してます。この写真のハサミ、元々同じハサミとは思えまへんやろう?
頭(?)とハサミは使いよう。
我が頭は錆び付いたままですが・・。