カバン・袋物・帆布加工一式 一澤信三郎帆布

信三郎のええかげんな話

Date 2017.08.23

#71 知ってる店


京都では若い料理人が次々と出てきて、新しく店を構えるんで、この頃は、とんと知らん店が増えました。
私も昔から通うてる店が何軒かあって、しばらく行かんと忘れられそうなんで、たまに「生きてるか」「こっちもなんとかかんとか息してるで」と言うつもりで、ぶらりと寄ります。そんな処がいくつかあるんで、そこをぐるぐる回ってると、話題の店はなかなか開拓できません。
わたしは人見知りなんで、初めての店には、なかなかいきなり入れません。
京都人はたいがい我が儘で、今日こんなもん食べたいなあと思ったら、その日に食べたいんで、何か月も前から予約して行くのは、ほんまに苦手です。そやから、“ 予約の取りにくい店 ” にはなかなか行けへんのです。
そういえば、東京の人は、行ったことがある店を「知ってる店」と言わはるようですが、私らが「知ってる店」と言うのは、そこの家族のことも、ええことも悪いことも、大将の女癖のことも知ってて、初めて「知ってる店」言うんです。

たまに馴染みの店のカウンターに坐って、まずはハーフ&ハーフを呑んでからマスターと、たわいもないことをしゃべって帰ります。そこのカウンターでよう逢う人でも、お互いに名乗り合うこともあらへんので、長いこと名前も知らんで、何をしてる人かわからんままに、今に至ってる人もいてはります。
そこでは、肩書が大事にされることもないのがええんやろうね。
私は名刺に、いろんな役職やら肩書やら、これでもかと書き込んでいる人は、どちらかと言えば苦手なんです。
もうこの歳になったら、気を使わんと好き勝手にいこうと思ってます。
うちの人には、「昔から好き勝手にしてるんとちがう?」と言われてますが・・。

Date 2017.07.24

#70 伏見人形

以前に、飛騨高山の街をぶらぶら歩いていた時のこと。
とある骨董屋さんのウインドウで、牛の土人形を見つけました。
私は丑年で、「丑年は家につくと言われて、家の仕事を受け継ぐんやで、その代わり、孤独に人生を終わることはないけどな」と言われたことがあって、その通り、家業を受け継ぐことになって、今に至っています。
その牛は、なかなか堂々とした作りで、不敵な面構え。もしかして伏見人形やないかと思い当たりました。
伏見人形は、安土桃山時代から、京都の伏見稲荷大社の門前で作られていて、全国の土人形の元祖やと言われています。幕末から明治にかけては、窯元が50軒余りもあったそうですが、今では、1軒のみになっているようです。
飛騨牛の焼肉屋さんのウインドウに飾られそうになっていたのを、そんなら生まれ故郷の京都に連れて帰ってあげようと、譲り受けました。
今作られている伏見人形と並べてみましたが、この昔の牛は、高村光太郎の詩をほうふつとさせる、さすがの貫禄です。

牛は後へはかえらない
足が地面へめりこんでもかえらない
そしてやっぱり牛はのろのろと歩く
牛は大地をふみしめて歩く

牛は自分の道を自分で行く

私自身は無為徒食に年を重ねているだけで、こんな貫禄になられへん。
今更ですが、つらいとこですなあ。

Date 2017.06.24

#69 えらいこっちゃ

うちの本、作らへんかと勧められながら、「あかん、あかん、やめとこ、そんなもん作ったかて誰も買うてくれへんわ」と、ずっと断り続けてきました。
それが、担当の女性編集者さんの粘り勝ちで決まってしもたんです。私は相変わらずとことん粘れへん性格やなあ。

さて、皆さんはうちのどんなところを面白がってくれはるんやろう?
なんとかかんとか110年余り帆布加工の仕事をしてきたので、昔のかばんやら、なんやら、かんやらを出してみると、あるわあるわ・・・。こんなんいつ頃作ったんや・・・?
うちのかばんが並んでるだけでは面白ないので、かばん作りのいろいろな素材、工房での職人のものづくりの風景、かばんをたくさん使うてもろてる友人たちにも、登場してもらいました。
うちの歴史のページもあります。ひい爺さんが変わりもんで、明治時代に「京都音楽会」というバンドを結成したり、「古木仙宅」というしゃれっ気のきいた名前でドライクリーニング屋を始めたりと、いろんなことに手を出して、辛うじて続いてきたのが、今の帆布加工やったんでしょう。

かばんの作りの詳細や、修理の現場も見ていただけます。
えらいこっちゃ!
しばらく雲隠れせなあかんやろか・・。

Date 2017.06.05

#68 私も、たまには

私が常に肌身離さず使うてるのは、もちろんうちの帆布かばんで、S-02小、通称 “托鉢かばん” です。このかばんのサイズやと、中身はせいぜい手帳と携帯電話、名刺入れ、キーケース、ペン差し、ハンカチでほぼ一杯です。これ以上は放り込めず、肩も凝りません。
昼はもちろんのこと、たまには夜もこれをたすき掛けにして夜の托鉢に出かけます。喜捨してもらうんではなく、どちらかと言えばこちらが、紅灯のちまたに、僅かばかり布施をするんですが…。たすき掛けにしておけば、どこかで酔っぱろうて沈没しても、置き忘れることはありません。

うちには、専属のデザイナーはおりません。強いて言えば「こんなかばんはできへんか?」と要望を言ってくれはるお客さんがデザイナーでしょうか。
とは言うても、うちの職人も月に一度、自分自身が作りたいかばんを好き勝手に作ってもええと言う日があるんです。新作への思いが募った職人たちが集まります。自分で使いたいと思わんと、ほんまにええもんは出来まへん。
私は普段、空気のようなもんやけど、ここらで少しは存在感を示さんとあかんなあ・・・と、自分が使いたいかばんを考案してみました。
基本は、いつも使うてるS-02小のサイズです。うちでは昭和30~40年代に、登山隊や探検隊の野外用キャンプテントやリュックを手掛けていました。せっかくやから、当時テントを張るのに使うていたロープや、自在(今はこれをダッフルボタンと呼んでいるようです。うちでは通称 “おしゃぶり” でした)を使うてみました。
麻帆布に、綿ロープと木製の自在を組み合わせて、できたんが「IS-28」です。
お陰さんで、ぼちぼち人気です。
辛うじて、私にもまだ創作力残ってますやろうか。

Date 2017.05.15

#67 里山十帖と越後の春

4月の最終月曜日、京の「草喰 なかひがし」さんと共に、新潟県の魚沼にある「里山十帖」という旅館でのイベントに行ってきました。
参加者が昼過ぎに集合して、魚沼の里山で山菜を採って、夜はその山菜を使った中東さんの料理をいただくというのが主な内容で、その隙間に、私が前座で、うちのモノづくりや商いについて、つたない話をすることになりました。山菜採りに持って行くのは、うちが作らせてもろうた「なかひがし」さんの開店20周年記念かばん。
旨そうな野菜の線画を散らした、いかにも中東さんらしい帆布かばんに、おにぎりと水、軍手を入れていざ出発です。
中東さんが「私は晴れ男ですわ」と自慢してはっただけあって、当日は雲一つないピカピカの晴天。まだ雪の残っている越後の山々が青空の下に連なって、素晴らしい眺めでした。
田んぼの畔に点々と咲いているのは「フキノトウ」、びっしりと林のように「土筆」も並んでいます。中東さんに教えてもらいながら「カンゾウ」「独活(ウド)」「コゴミ」「ヨモギ」「ゼンマイ」「イタドリ」・・、「スイバ」はちぎって食べるとほんまに酸い味でした。「木の芽」は京都では山椒の葉のことやけど、ここでは「ミツバアケビの芽」のことでした。湯がいて食べるんやそうです。
青空の下で、新潟のお米で作った塩味だけの旨いおにぎりと一ぴきのめざしをほおばって、みんな一生懸命、山菜を採って、子供に還った一日でした。

夕食の前が、私の出番です。うちの仕事を30分にまとめたDVDを見てもらいながらの、ええかげんな話です。皆さん疲れてはるのに、よう我慢して熱心に聞いてくれはりました。
里山十帖の、とろりとしたお湯の露天風呂から眺める棚田と、夕日に染まった越後の山並みは絶景でした。

夜は楽しみな、中東さんと、こちらの料理長のコラボの料理です。山菜の白和え、白味噌のおつゆ、鯉の刺身・・・・。最後に煮えばなのごはん。越後のお酒のすすむこと。
すっかり酔っぱろうて、部屋に戻ったらそのまんま夢の中でした。

それにしても、中東さんは京の北部花脊の山の民、私は京の下町育ち、食糧難の時代には中東さんは逞しく生き延びはるやろうなあ。
私はあっさり・・・、あかんやろうね。